武田信玄公ゆかりの場所にでかけよう

武田信玄の命日4月12日前の金曜日から日曜日にかけて、毎年、山梨県甲府市で行なわれているイベントが「信玄公祭り」です。そしてこの「信玄公祭り」では、武田二十四将を模した時代行列の「甲州軍団出陣」があります。甲府市には1919年(大正8年)に、信玄を祭神と祭っている武田神社が創建されていて崇敬を集めています。山梨県の象徴的人物として、武田神社では創建以来、信玄の命日にあたる4月12日に例大祭が行われていますが、こちらのお祭りは「武田神社例大祭」といって甲府駅から武田神社までの武田通りの桜並木を、神輿と地元住民たちによる武田二十四将を模した騎馬行列が通ります。

信玄ゆかりの場所

山梨県には13市(甲府市・富士吉田市・都留市・山梨市・大月市・ 韮崎市・南アルプス市・甲斐市・笛吹市・ 北杜市・上野原市・甲州市・中央市)と5郡(西八代郡・南巨摩郡・中巨摩郡・南都留郡・北都留郡)8町、6村があります。

南に富士山があり、西に赤石山脈(南アルプス)、北に八ヶ岳、東に奥秩父山地といった、標高2000mを超す山々に囲まれている山梨県は、海に囲まれて海洋国家といわれる日本では、内陸側に位置する数少ない県でもあります。

甲府市:県庁所在地

甲府駅南口信玄像
… 甲府駅の南口に巨大な武田信玄像が出迎えてくれます。この像の元になったのは長谷川等伯の肖像画ですが、信玄の病気の事を考慮すると別人のものという意見が強くなっています。
武田神社
… 武田信玄の居城だった躑躅ヶ崎館の跡地に大正時代に建てられた神社です。館はありませんが、曲輪やお堀といったその当時を偲ばせる構造が残っています。
甲府城 (舞鶴城)
… 武田氏滅亡した後の、織田&豊臣時代の建築の甲府城です。武田の遺臣の子孫でもある柳沢吉保とその子・吉里が藩主として政務を執りおこなったお城です。
要害城址
… 躑躅ヶ崎館に付随した山城です。信玄が誕生したお城でもあります。父・信虎が今川氏配下の福島正成に攻められたときに、信玄の母親・大井夫人はここに避難して信玄を生みました。
湯村山城跡
… 武田信虎が居館を石和から躑躅ヶ崎に移したときに、更なる防衛のために作ったとされているお城です。
甲斐善光寺
… 川中島の戦いが長野の善光寺付近にまでおよび、善光寺別当栗田氏も武田と上杉に分裂したため、栗田氏と善光寺本尊が甲府に遷されて甲斐善光寺となりました。
東光寺
… 信玄に攻められた諏訪頼重が自害したほか、信玄の長男・義信が幽閉されて死去したお寺です。こちらは、甲府五山に含まれています。
甲府五山
… 信玄は臨済宗に帰依しています。臨済宗の制度でもある五山の制度に基づき、臨済宗の長禅寺・東光寺・能成寺・円光院・法泉寺を「甲府五山」としました。
武田信玄火葬塚
… 場所は岩窪町にあります。こちらは、柳沢吉保により信玄の墓と認められていますが、信玄の墓所はこの他にも墓とされる場所がいくつかあります。

甲州市

天目山
… 武田氏の終焉の地です。織田信長に攻められた勝頼は、東側の郡内地方に逃れようとしました。しかし郡内を治める配下の小山田信茂の反乱にあったため、郡内に入る手前のこの地において片手千人斬りの土屋昌恒が時間を稼ぐ中で自害しています。
景徳院
… 徳川家康が武田勝頼を弔うために、勝頼の終焉の地に築いた寺です。そして勝頼たちの墓が残っています。
恵林寺
… 武田氏の菩提寺となって栄えました。織田信長の甲斐制圧後に浪人を匿っていたため、織田方の焼き討ちにあいますが、その時に山主・快川紹喜が「心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と唱えながら入滅したとされています。徳川時代に再建されて、武田遺臣の柳沢吉保の墓所となっています。現在も信玄公宝物館があります。
勝沼氏館跡
…信虎の弟・勝沼信友と、その子・信元の館跡。国史跡に指定されて公園になっています。

韮崎市

新府城跡
…武田勝頼が築いた城。完成する前に信長に攻められたため、勝頼によって火が放たれました。現在では城跡が残っていて、神社が建てられています。
武田八幡宮
…鎌倉時代初期の武田信義から氏神されているため、歴代の武田氏から保護を受けています。現在の本殿は武田信玄によって造営されています。